11:00AM - 7:00PM
定休日 : 毎週火曜日・水曜日
535-0022 大阪市旭区新森 6-8-48
TEL 06 6958 7055 / FAX 06 6958 7056
11:00AM - 7:00PM
ラストオーダー
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定休日 : 毎週火曜日・水曜日
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1997年1月、大阪玉造。まわりに店なんか何もない場所に、黄瀬徳彦と唐津裕美がラブラドール犬のBUDDYとともにひょっこりスタートさせた家具屋「TRUCK」。流行に流されず、自分たちが欲しいと思う家具を作り続けている。TRUCKの家具は卸はせず、自分たちの目の届く範囲で、自分たちで大切に売る。家具だけでなくそこにある空気感も大切にしたいから、店も自分たちで作る。ここで作って、ここで売るスタイルを、これからもずっとブレないで続けていきたいと思っている。1996年に荒れ果てた幽霊ビルを借りて始まったTRUCKの店作りから、2009年12月に旭区に移転するまでの13年間を振り返ってみた。
1996年 5月
オンボロビルの部屋を自分たちで改造して住まいと工場と店を作った。リノベーションという言葉も聞いたことがなかった当時、手探りではじめた場所作り。2人で古い内装をすべてめくり1ヶ月間ぶっ通しで内装工事に明け暮れた。解体、ペンキ塗り、フローリング張りに水道工事……、気合いで完成させた。寝不足で、全身ホコリだらけで、クタクタで、お金もなくて。でも自分たちの場所を作るのは面白くて面白くてしようがなかった。
1996年 9月
ラブラドール犬、看板息子のBUDDY。
どんなときもそばで2人を、TRUCKを見守ってくれた大事な存在。TRUCKオープン前、ブルースBARをやろうと真剣に考えたくらいにハマっていたブルース。買い集めていたレコードの中、アルバム"STONE CRAZY"のジャケットでギターを弾くBUDDY GUYのハの字眉毛がお人好しなラブラドールと重なって、そこから名付けたBUDDY。そしてBUDDYの息子が生まれた時、BUDDY GUYの相棒ハーモニカ奏者JUNIOR WELLSから息子の意味も込めてJUNIORと名付けた。
1997年 7月
1Fに店を作る前に、まず自分たちが住む場所を2Fに作った。内装を引っぺがしてコンクリートむき出しにペンキを塗り、床を張っただけ。たくさんの写真をここで撮り、TRUCKのカタログ3冊はここから生まれた。そのカタログ作りも型破りで、スタジオを借りたりスタイリストやカメラマンに依頼するのではなく、すべて自分たちでこなした。当時、素人が自由に撮る写真が逆に斬新だったようだ。
1997年 1月
TRUCKオープン。
38坪ある1Fのうち、道路に面した側20坪弱のスペースを家具を並べて店にし、スライドドアを1枚ガラッと開けた奥が工場。なので、店には木工機械をまわす音が響き渡っていた。当時はインターネットも普及していなかったのでウェブサイトなんかない。特に宣伝することもなく、ひっそりとスタートした。店にはレジなんかなくてタッパーに現金を入れていた。(実はなんと2004年頃までタッパーのままだった!)
1999年 12月
「TRUCK AREA2」オープン。
作業するのに手狭になったので、TRUCKのすぐ裏手の通りに3階建てのビルを1棟借りることになった。またしてもここも自分たちで改造をした。でも、こちらは前回とは違いTRUCKを営業しながらの工事。閉店後の夜中や定休日を使ってこつこつ改造したのでオープンまで半年もかかってしまった。
AREA2は、1Fが工場、2Fが倉庫兼仕上げ場、3Fが店になっていた。いつもBUDDYが展示品のベッドで気持ちよさそうに寝ている。時にはお客さんと一緒にソファでくつろいだり、遊んでもらったり。そんなほのぼのとした空気が広がっていた。
AREA2の入り口には植物がわっさりとあり、"憩いの場"と呼んでいた。その横に狭くて急な階段があり、 ここが店の入り口?とすこし不安気に上がると現れるのは店ではなく2Fの作業場。作業をしている所を横目に通り抜け、さらに急な階段をハアハア言いながら上がるとやっと3Fの店に到着。なぜ、お客さんに優しくない配置なのか?それはAREA2を作ったきっかけは作業場と倉庫を広げたかったのが一番の目的で店を増やすことではなかったから。普通で考えると1Fの路面が店になるんだろうけど、まず機械がある工場が優先だった。それが、決して狙ったわけではないのに思いがけず「作り手の顔が見える家具屋」なんてよばれるようになった。
2003年 7月
シロクマ舎設立。
TRUCKオリジナルの革『ファロードレザー』を使ってソファを作るときにできる切れっ端がもったいなくて捨てられずにとっておいたのが、シロクマ舎の革を使ったもの作りのはじまり。ベルトポーチに携帯ケース、財布、どれもひとつひとつ手縫いで形にしていく。革の端っこの部分なので、キズがあったりミミが残っていたり、同じ形のアイテムでもそれぞれに表情が違う。さらに日々使っていくと、どんどんいい色に変わっていき味わいも愛着も深まる革小物達。
2007年 6月
いよいよ旭区の新しい場所の工事が始まった。大きな樹にかこまれて日々を過ごしたいという思いでやっと見つけたこの場所。もとはタクシー会社の古い建物が敷地いっぱいに立っていた。残念ながら活かせるものでは全然ない。もちろん樹は1本もない。まず、今あるものすべてを解体して一旦更地にするところから始めた。そして目の前に広がった340坪。
建築家でもない素人の2人がここに店、工場、倉庫、カフェ、シロクマ舎、自宅を建設し、10mを超える樹々を植栽する。鉄製の窓、レンガの塀などもすべて一から自分たちで考えた。土地探しに4~5年、土地が決まってからプランに1年、オープンまでの工事は1年半という、壮大なスケールの計画!
鉄筋と型枠の組み上げからコンクリート打設まで、全ての作業に立ち合う。
寒い年末も、スタッフ総出でペンキ塗り。
ついに自分たちの考えた窓が取り付けられる。コンクリートの箱が建物らしくなった。
2009年 1月
今回の壮大な計画の一番大事なこと。大きな樹を植えること。この旭区の土地には1本も樹がない。
すべて自分たちで植えなければならない。10mを超えるサイズのを含め、時間をかけて選び抜いた樹々は30本以上。いちばん大きなケヤキは高さ14m、その根鉢は2m近くあり、トラックに横たわって運ばれる姿は16mもの長さ。重さは5t!!それを大型クレーンで吊り上げる光景は圧巻!
さらに、玉造の店の近くにあった団地が取り壊しになる時に伐採される予定だったところを救出した樹々も新しい場所に移植した。
ペンキ塗りから佐官に溶接、床張り、、、なんでもやる。
2009年 8月
TRUCKをはじめた頃からあったらいいなとずっと思い描いていた、お客さんにコーヒーでも飲みながらゆっくりとくつろいでもらえるスペース。移転を機に併設したBirdの工事ももちろん自分たちで。窓枠をはめると一気に世界観が高まった。
旭区に土地を決めてからオープンまで結局2年半かかった。店の内装もいよいよ終盤。
2009年 12月
1997年。ここからすべてが始まった。何もない、ゼロからかんばって手探りで作り上げた思い出の場所。
離れるのは寂しかったけど、次に進むために!引越し前、3歳になったばかりの娘とBUDDYと一緒に、玉造のTRUCK前で最後の記念写真。
2009年12月14日、たくさんの思いを形にした場所で樹々に囲まれ、TRUCKとBirdが新たにオープン。
家具作り、店作り、もの作り。TRUCKが考えてきたこと、
これまでの記録を1冊の本にまとめました。
黄瀬徳彦、唐津裕美による
書き下ろし、撮り下ろし。400 page
家具作り、店作り、もの作り。
TRUCKが考えてきたこと、
これまでの記録を
1冊の本にまとめました。
黄瀬徳彦、唐津裕美による
書き下ろし、撮り下ろし。
400 page